第8章 エンゲージメントのユースケース ―― Why You Nowを、接点に変える
ここまでの章で、顧客を一つにし、データ構造を整え、購買グループ購買グループユニット企業内部にある検討の単位。所属と行動の同一性から認定する。BtoBの購買は一人では決まらないため、リードではなくこの単位で捉える。用語集で見る →を捉え、4つのデータソースからコンテキストコンテキストその顧客が今どんな状況にあり、なぜそれを求めているのかを説明するための情報。業種や規模と違い一社ごと・一人ごとに異なり、シグナル・自社接点・購買グループを組み合わせて組み立てる。用語集で見る →を組み立て、Why You NowWhy You Now「なぜ貴社に(Why You)」「なぜ今(Why Now)」「なぜ私たちが(Why Us)」の3つの問いへの答え。データから導かれる接触の根拠であり、営業を動かすのはリードの数やスコアではなくこの理由である。用語集で見る →を導く方法を述べてきた。本章では、それが実際の営業とマーケティングの活動でどう使われるかを、7つのユースケースとして示す。いずれも、第1章で述べた「欲しい時に、欲しい情報を、欲しい方法で、すみやかに」を、組織として実現するための具体的な形である。
8-1. Why You Nowを、接点に変える
コンテキストとWhy You Nowは、実際に顧客に届けて初めて意味を持つ。
届けるとは、Why You Nowをもとに、誰が、いつ、どの接点接点タッチポイント顧客と自社の間で起きる相互作用のすべて。マーケティング接点・営業接点・カスタマーサクセス接点・パートナー接点があり、商談も接点の一つである。用語集で見る →で、何を届けるかを決め、実行することである。届ける主体は、マーケティングのこともあれば、インサイドセールスインサイドセールス訪問せずに電話やメールで見込み客と接点を持つ営業機能。聞き取りで得た情報は、フォームからは分からない購買グループの手がかりになる。用語集で見る →、営業、カスタマーサクセスのこともある。届ける接点は、メール、電話、面談、提案書、ウェビナーの案内、あるいは導入後のフォローである。
7つのユースケースに共通する構造は、次のとおりである。CRMCRMCustomer Relationship Management顧客との関係と取引履歴を管理する仕組み。GTMの4レイヤーでは、SFA・MAと並ぶ業務アプリケーション層に位置づけられる。用語集で見る →に集まったコンテキスト(シグナルシグナル顧客企業に起きた変化を示す情報。経営方針・組織・キーパーソン・採用・投資と業績・事業・導入ツールと体制・外部環境の変化があり、多くは公開されている情報から得られる。用語集で見る →、自社接点、購買グループ)を起点に、AIがWhy You Nowと、それを届けるための下書きを生成する。人がそれを確認し、磨き、実行する。実行した接点とその反応は、CRMに戻り、次のコンテキストになる。
8-2. ユースケース① 1to1のパーソナライズメール
起点。 ある企業にシグナルが検知された。あるいは、購買グループの誰かに関心の兆しが見えた。
AIが行うこと。 その企業のコンテキストと、届ける相手の役割をもとに、Why You Nowを組み立て、メールの文面を生成する。件名、冒頭の一文、本文の論点、添える資料の選択。相手の会社に起きた変化に触れ、相手の役割に合った価値を示し、なぜ今この情報を送るのかが読み手に伝わる文面を、一通ずつ作る。
人が行うこと。 生成された文面を確認し、事実に誤りがないか、相手との関係に照らして不自然でないかを見る。必要なら言葉を直し、送る。
従来との違い。 これまでのメールマーケティングは、セグメントに対する一斉配信だった。業種と役職で絞り、同じ文面を数百人に送る。それに対して、ここでのメールは一通ずつ違う。相手ごとにWhy You Nowが違うから、文面も違う。第6章で述べたとおり、「なぜこの企業に、なぜ今、この内容を送るのか」が説明できるメールは、相手にとって理由のある接触になる。AIがなければ、この一通ずつの作成は数十社が限界だった。AIによって、数千社に対して可能になる。
8-3. ユースケース② シグナル起点のインサイドセールス
起点。 対象企業に、自社の提供価値と結びつくシグナルが検知された。中期経営計画での言及、担当役員の着任、特定職種の採用開始など。
AIが行うこと。 シグナルの内容と、その企業の購買グループの情報から、架電すべき相手の候補と、話すべき論点を整理する。「ある企業で、情報システム部長が新任で着任した。その企業は中期経営計画で営業のデジタル化を掲げている。新任の部長に対し、同業他社の営業支援システム刷新の事例を切り口に、現状の課題を聞く」という形で、架電の目的と冒頭の話法の案を出す。
人が行うこと。 インサイドセールスが、整理された論点をもとに架電する。会話の中で得た情報は、第7章で述べたとおり通話が自動で記録され、購買グループの情報として戻る。
従来との違い。 従来のインサイドセールスの架電は、MAMAマーケティングオートメーションマーケティングの実行と管理のための業務アプリケーション。用語集で見る →のスコアが高いリードへの「資料をご覧いただきありがとうございます」から始まる電話か、リストの上から順にかける電話だった。相手にとって理由のない電話であり、つながっても会話が続かない。シグナル起点の架電は、相手の会社に起きている変化を理由にしているため、会話のきっかけが違う。相手にとっても、自社の状況を理解したうえでの電話として受け取られる。
8-4. ユースケース③ 商談前の準備
起点。 商談の予定が入った。初回面談でも、進行中の商談の次回面談でもよい。
AIが行うこと。 その商談に関わる購買グループの情報、過去の議事録、直近のシグナル、自社との接点の履歴を集め、商談準備の資料を生成する。出席予定者の役割と過去の発言、前回の商談で決まったことと持ち越したこと、前回以降にその企業で起きた変化、今回の商談で確認すべき論点と提示すべき情報。これらを一枚にまとめる。
人が行うこと。 営業が準備資料を読み、自分の知っている事情を加え、商談の進め方を決める。
従来との違い。 商談前の準備は、営業担当者の力量に大きく依存してきた。優れた営業は前回の議事録を読み返し、相手の会社のニュースを調べ、出席者の立場を確認してから臨む。そうでない営業は、前回の記憶だけで臨む。準備の質が商談の質を決めるにもかかわらず、準備にかけられる時間は限られている。AIが準備資料を生成することで、すべての営業が、すべての商談に、同じ水準の準備で臨める。
8-5. ユースケース④ 提案書の作成
起点。 商談が提案の段階に進んだ。
AIが行うこと。 CRMに集まったコンテキストをもとに、その顧客のための提案書の下書きを生成する。入力となるのは、シグナル(その企業の経営方針や組織の変化)、議事録で顧客が語った課題、購買グループの構成と役割、取引実績、そして自社の事例と提供価値である。
提案書の構成は、Why You Nowを冒頭に置く。なぜ貴社に、なぜ今、なぜ私たちがお役に立てるのかを、最初の一枚で示す。続いて、購買グループの役割ごとに章を出し分ける。第6章で述べたとおり、金庫番金庫番投資に見合うかを判断し、予算を握る人。決裁者本人のことも、その右腕として判断材料を精査する人のこともある。関心は投資対効果に集中する。用語集で見る →向けには会社の信頼性、投資対効果、契約条件を、門番門番リスクはないか、要件を満たすかを審査する人。情報システム部門・法務・購買、あるいは現場の専門家として、比較情報やリスク情報を求める。用語集で見る →向けには仕様や条件が基準を満たすことの証明を、旗振り役旗振り役社内をどう説得するかを考え、検討を推進する人。着火役に材料を集めさせ、自身も調べ、上に上げていく。探しているのは「社内説得の材料」。用語集で見る →向けには社内を説得するための根拠を、それぞれの章として用意する。
人が行うこと。 営業が、生成された下書きの論点を取捨選択し、相手の顔を思い浮かべながら最後の磨き込みを行う。どの事例を前に出すか、どの表現が相手に響くか、何を書かないか。この判断は人が担う。
接点としての提案書。 提案書は、提示した時点で商談の接点としてCRMに記録する。どの版を、誰に、いつ提示したか。そして提示後の反応、質問された点、修正を求められた点は、次のコンテキストになる。提案書は、提示した後も顧客との対話の中で更新されていく。
従来との違い。 提案書の作成は、営業の時間を最も消費する作業の一つだった。過去の提案書を探し、流用し、顧客名を差し替え、事例を入れ替える。その結果、どの顧客にも似た提案書が届く。AIが顧客ごとのコンテキストから下書きを生成することで、作成の時間が減るだけでなく、提案書の中身が顧客ごとに変わる。
8-6. ユースケース⑤ ウェビナー・イベント後のフォロー
起点。 ウェビナーやイベントが終わり、参加者のリストがある。
AIが行うこと。 参加者一人ひとりについて、その人が属する企業のシグナルと購買グループの情報を組み合わせ、フォローの優先順位と内容を決める。同じウェビナーに参加していても、その企業に自社の提供価値と結びつくシグナルがある参加者と、ない参加者では、フォローの優先度が違う。同じ企業から複数人が参加していれば、購買グループが動いている可能性が高く、優先度はさらに上がる。優先度に応じて、営業が個別にフォローする参加者、インサイドセールスが架電する参加者、パーソナライズメールを送る参加者、通常のフォローメールで足りる参加者に分ける。
人が行うこと。 優先度の高い参加者へのフォローを、営業とインサイドセールスが行う。
従来との違い。 従来のウェビナー後フォローは、参加者全員に同じお礼メールを送り、アンケートで「詳しく聞きたい」と答えた人にだけ営業が連絡する、というものだった。アンケートに答えなかった人の中に、購買グループが動き始めている企業の担当者がいても、気づかれない。コンテキストと照らし合わせることで、参加という一つの接点を、その企業の状況の中で読めるようになる。
8-7. ユースケース⑥ 休眠顧客の再起動
起点。 過去に商談や取引があったが、一定期間、接点が途絶えている顧客に、新しいシグナルが検知された。
AIが行うこと。 過去の接点の履歴(どんな商談があり、なぜ止まったか、誰と話していたか)と、新しいシグナル(担当者の異動、新しい経営方針、予算の動き)を組み合わせ、再接触の理由を組み立てる。「二年前に予算の都合で見送りになった商談があり、当時の担当者は異動したが、今年度から新しい部長が着任し、中期経営計画で該当領域への投資が明記された。当時の提案内容を前提に、新しい部長に対して再度の情報提供を行う」という形で、再起動の根拠と接触の相手を示す。
人が行うこと。 営業が、過去の経緯を確認したうえで再接触する。
従来との違い。 休眠顧客は、多くの企業で「リストにはあるが誰も追っていない」状態になっている。定期的に一斉メールを送るか、営業が思い出したときに連絡するかである。第4章で述べたレベニューサイクルレベニューサイクルリード獲得から受注後の拡大・再購買までを、一つながりの循環プロセスとして捉える収益モデル。用語集で見る →の循環に照らせば、休眠顧客は「再検討」の段階に入る可能性を持った顧客であり、そのきっかけはシグナルから生まれる。過去の接点とシグナルを組み合わせることで、再接触に理由が生まれる。
8-8. ユースケース⑦ 既存顧客の深耕:クロスセル・アップセル
起点。 取引中の顧客について、取引実績と、購買グループの関心やシグナルとの間にギャップが見つかった。
AIが行うこと。 その顧客が導入している製品やサービスと、自社が提供できる製品やサービスの全体を比べ、まだ導入されていない領域を洗い出す。そのうえで、購買グループの関心(他部門の人物がウェビナーに参加している、別の製品領域の事例を閲覧している)や、シグナル(新しい事業の開始、組織の拡大)と照らして、次の提案の候補と、その提案を届けるべき相手を示す。
人が行うこと。 営業またはカスタマーサクセスが、既存の関係を踏まえて提案の可否を判断し、働きかける。
従来との違い。 クロスセルとアップセルは、既存の営業担当者やカスタマーサクセスの気づきに任されてきた。気づく担当者もいれば、気づかない担当者もいる。第4章で述べたカスタマーファネルファネルリード獲得から受注までを一方向の絞り込みとして捉える従来モデル。レベニューサイクルと対になる考え方。用語集で見る →を広げる機会を、データから組織的に見つける。これが既存顧客の深耕である。大規模組織における事業部横断の深耕は、第9章で詳しく述べる。
8-9. AIと人の役割分担:生成はAI、確認と判断は人
7つのユースケースに共通しているのは、AIと人の分担の形である。
AIが行うのは、コンテキストを集めること、Why You Nowを組み立てること、届けるための下書きを生成すること、優先順位を付けることである。いずれも、量が多く、速度が求められ、人手では追いつかない作業である。
人が行うのは、AIの出力を確認すること、事実の誤りや関係上の不自然さを正すこと、最後の判断を下すこと、そして実際に顧客と向き合うことである。第6章で述べたとおり、AIが出すのは候補であり、決めるのは人である。
この分担の意味は、営業とマーケティングの仕事から、準備と作成の時間を減らし、顧客と向き合う時間と、判断の質に集中させることにある。優れた営業が個人の技量で行っていた準備と作成を、AIが組織のすべての営業に対して行う。営業の質の差は、判断と対話の質の差として表れるようになる。
8-10. エンゲージメントを測る:関係の深さの変化を指標にする
7つのユースケースを実行したら、その効果を測る必要がある。ここで問われるのが、何を測るかである。
従来の指標は、反応率だった。メールの開封率、クリック率、架電の接続率、ウェビナーの参加率。これらは接点の量と反応の量を測る指標であり、第1章で述べたとおり、エンゲージメントエンゲージメント顧客が自社との接触に価値を感じ、関係を続けたいと思っている状態。接触の量ではなく関係の深さを表し、企業・購買グループ・パーソンの3つの単位で捉える。CRMの目的はこれを高めることにある。用語集で見る →が表すのは関係の深さである。反応率が高くても、関係が深まっているとは限らない。
エンゲージメントを測るには、関係の深さの変化を指標にする。本書で扱ってきたデータ構造に照らせば、次のような指標が考えられる。
- 購買グループの可視化の度合い:対象企業について、4役割のうち何役を特定できているか。接点を重ねるたびに特定できる役割が増えていれば、関係は深まっている
- 役割ごとの接点の広がり:着火役着火役現状への問題意識を持ち、検討の起点となる人。Webで調べ、資料をダウンロードし、ウェビナーに参加する。売り手のデータベースに最初に現れるシグナルの多くは、この役割が発している。用語集で見る →だけでなく、旗振り役や金庫番との接点が生まれているか
- 反応の質:開封やクリックより一歩進んだ、返信、面談の成立、資料の社内共有、他の関与者の紹介といった、相手が能動的に関わった反応の有無
- 検討段階の前進:購買グループのメンバーの検討段階が、接点を経て進んでいるか
- 再検討への再流入:一度止まった顧客が、再び検討の段階に戻ってきているか
- 取引の広がり:既存顧客において、導入領域、利用部門、関与する人物が広がっているか
これらは、第4章で述べた4つのファネル、とくにカスタマーファネルの指標と重なる。エンゲージメントを測るとは、顧客との関係が、一人から購買グループへ、一つの取引から複数の領域へ、一度の検討から継続する関係へと広がっているかを測ることである。
次章では、この考え方を、多事業部やグループ会社を持つ大規模組織に適用したときに何が問われるかを述べる。
本章の要点
- コンテキストとWhy You Nowは、実際に顧客に届けて初めて意味を持つ
- 7つのユースケースに共通する構造は、CRMのコンテキストを起点にAIがWhy You Nowと下書きを生成し、人が確認して実行し、反応がCRMに戻る循環である
- 1to1パーソナライズメールは、相手ごとにWhy You Nowが違うから文面も違う。AIによって数千社に対して可能になる
- シグナル起点のインサイドセールス、商談前の準備、提案書の作成は、営業の準備と作成の質を、個人の力量から組織の仕組みに変える
- 提案書はWhy You Nowを冒頭に置き、役割ごとに章を出し分け、提示後は商談の接点としてCRMに記録する
- ウェビナー後のフォロー、休眠顧客の再起動、既存顧客の深耕は、一つの接点や過去の履歴を、その企業の状況の中で読み直すことで理由のある接触に変える
- 生成はAI、確認と判断は人。営業の質の差は、判断と対話の質の差として表れる
- エンゲージメントは、関係の深さの変化で測る。購買グループの可視化、役割ごとの接点の広がり、反応の質、検討段階の前進、再流入、取引の広がりが指標になる

