ABM COMPLETE 第6章 / 全11章 読了 約6分 / 3,848字 著者:ワンマーケティング株式会社 SHARE

第6章 何を伝えるか ―― 役割別バリュープロポジション(Step5)

6-1. データが整っても、届ける価値がなければグループは動かない

前章で、購買グループはデータベース上で見えるようになった。A社の情報システム部に、着火役の田中と旗振り役の山田がいる。門番と金庫番にはまだ会えていない。ここまで見えている。

では、山田に何を言うのか。

この問いに答えられない企業は多い。データ基盤に投資し、グルーピングができるようになった瞬間に、届けるものがないことに気づく。手元にあるのは、製品カタログと、全員に送っている月次メールと、去年作った導入事例だけ。誰に届けるかは分かったが、何を届けるかが設計されていない。

Step5は、この空白を埋める工程である。当社は「価値設計」と呼んでいる。自社の製品・サービスが、購買グループの各役割に対してどのような価値を持つのかを、役割ごとに言語化する。第4章で述べた通り、着火役に刺さる情報は金庫番には響かない。同じ商材でも、価値は1つではない。だから、役割の数だけ価値を設計する。

6-2. バリュープロポジションキャンバスの使い方

価値設計の道具として、当社はバリュープロポジションキャンバス(VPC)を用いている。広く知られたフレームワークであり、詳細な解説は他に多くの文献があるため、ここでは購買グループで使うために必要な範囲にとどめる。

キャンバスは左右2つのブロックで構成される。

右側が顧客プロフィールである。顧客が果たそうとしている「ジョブ」、その過程で感じている「ペイン(悩み・障害)」、実現したい「ゲイン(利得)」の3要素を書く。ジョブは、業務上の目的である機能的ジョブだけでなく、周囲からどう見られたいかという社会的ジョブ、どう感じたいかという感情的ジョブ、そして本人も口にしない隠れたジョブまで掘る。

左側が価値マップである。自社の「製品・サービス」、顧客のペインをどう取り除くかという「ペインリリーバー」、顧客のゲインをどう生み出すかという「ゲインクリエイター」の3要素を書く。

そして、右と左を噛み合わせる。顧客のペインに対応するペインリリーバーがあるか。ゲインに対応するゲインクリエイターがあるか。噛み合っていなければ、その価値は顧客にとって価値ではない。

ここまでは一般論である。購買グループの文脈でVPCを使うときの要点は、1つだけである。顧客プロフィールを、アカウントではなく、役割ごとに書く。 「A社」のジョブ・ペイン・ゲインというものは存在しない。存在するのは、A社の旗振り役である山田のジョブ・ペイン・ゲインであり、門番である情報システム部門の別の誰かのジョブ・ペイン・ゲインである。顧客プロフィールが役割ごとに違うのだから、それに噛み合う価値マップも役割ごとに変わる。

6-3. 実例 ―― 研修事業会社 × 大手製造業の人事部門(旗振り役)

具体例で示す。企業向け研修サービスを提供する会社が、大手製造業の人事部門を購買グループとして捉え、その中の旗振り役――研修企画を担当する人事の中堅担当者――のVPCを書いたケースである。

顧客プロフィール(旗振り役:人事部の研修企画担当)

ジョブ。機能的ジョブは、次年度の研修計画を策定し、経営の承認を得ること。社会的ジョブは、経営や事業部門から「人材育成を前に進めている担当者」として評価されること。感情的ジョブは、外部パートナーに安心して任せ、自分は企画に集中したいという気持ち。隠れたジョブは、自分が企画した研修が現場の成果につながったと証明したいこと。

ペイン。研修の効果を数値で示せず、予算折衝のたびに経営から「本当に効いているのか」と問われる。現場が多忙で受講率が上がらず、事業部門の管理職から歓迎されない。講師や内容の質にばらつきがあり、受講後のアンケートが芳しくない年がある。

ゲイン。経営に説明できる効果指標を持ちたい。現場が「やらされ」ではなく主体的に受講する状態を作りたい。単発の研修ではなく、継続的な育成の仕組みとして定着させたい。

価値マップ(研修事業会社の提供価値)

製品・サービスは、研修プログラムと、受講後の行動変容を追跡する効果測定の仕組み。ペインリリーバーは、受講前後の行動変容を指標化して経営に見せられる形にすること、現場の負荷を抑えた短時間モジュール設計、講師品質の標準化。ゲインクリエイターは、稟議にそのまま使える効果レポートのテンプレート、経営報告用の育成ダッシュボード、年次計画への組み込みを支援する伴走。

役割別バリュープロポジションキャンバス(旗振り役)
図11:顧客プロフィールはアカウントではなく役割ごとに書く。噛み合う価値マップも役割ごとに変わる

このVPCから、旗振り役に届けるべき価値がはっきりする。「良い研修を提供します」ではない。「あなたが経営に説明できる材料を、私たちが用意します」である。第4章で、旗振り役が探しているのは「社内説得の材料」だと述べた。VPCは、その材料を自社の商材で具体的にどう作れるかを、言葉にする作業である。

6-4. 4役割分を書く ―― 同じ商材でも、価値は4通りある

旗振り役のVPCを書いたら、残る3役割分を書く。同じ研修サービスで、価値は次のように変わる。

着火役(人事の若手担当、あるいは事業部門の教育担当)にとってのジョブは、現場の育成課題を把握し、上司に問題提起することである。ペインは、何が問題なのかを言語化できないこと。刺さる価値は、業界の育成動向や他社の課題感を示す調査データであり、「自社だけの問題ではない」と問題意識を裏づけてくれるものである。まだ商材の話ではない。

門番(情報システム部門、購買部門、あるいは事業部門の管理職)にとってのジョブは、導入によるリスクや現場負荷を審査することである。ペインは、受講管理システムのセキュリティや既存環境との整合、現場の稼働時間への影響を確認できないこと。刺さる価値は、仕様、セキュリティ要件への対応、現場負荷の実績データである。旗振り役に響いた「経営に説明できる指標」は、門番の関心の外にある。

金庫番(人事部長、あるいは管掌役員)にとってのジョブは、育成投資の妥当性を判断することである。ペインは、研修費が「使い切り」の費用として見え、投資対効果を説明できないこと。刺さる価値は、離職率や生産性といった経営指標との関係を示すROIの試算と、段階的に投資できる料金体系である。

同じ商材である。だが、着火役には「問題意識の裏づけ」、旗振り役には「社内説得の材料」、門番には「リスクと要件の確認」、金庫番には「投資対効果の証明」と、届ける価値は4通りに分かれる。ひとつのパターンで価値は決まらない。

ウェビナーで「各階層に対してどうアプローチすべきか」という質問を受けた。その答えの前提が、ここにある。アプローチの手段(メール、ウェビナー、営業訪問)を考える前に、その役割に届けるべき価値が言語化されていなければ、どの手段を使っても中身が同じになる。手段の設計は次章で扱うが、その前に、役割ごとの価値が4枚のキャンバスとして存在していることが条件である。

6-5. 最初の一稿はAIに任せてよい

「4役割分のVPCを書く」と聞いて、工数を懸念する読者は多いだろう。ターゲットアカウントが100社あれば、400枚のキャンバスが必要になるのか、と。

そうではない。VPCは、まずアカウント単位ではなく、ペルソナ単位で書く。第4章で述べた「理想の顧客像の言語化」である。大手製造業の人事部門の旗振り役、という粒度で1枚あれば、その役割を持つ多くのアカウントに共通して使える。個社ごとの調整は、営業が面談の中で行えばよい。役割の数だけ、つまり4枚から始める。

そして、その4枚の初稿は、生成AIに任せてよい。自社の製品・サービスの情報、ターゲット業界、役割の定義を与えれば、ジョブ・ペイン・ゲインの初稿と、それに対応する価値マップの初稿は、数分で生成できる。当社の実務でも、初稿はAIが書き、人がそれを磨いている。

ただし、磨く工程は人の仕事である。AIが書いたペインは、一般論として正しくても、自社の顧客が実際に口にしている言葉とは違うことが多い。営業が面談で聞いた生の言葉、インサイドセールスが電話で聞いた懸念、失注理由に書かれていた一文――こうした一次情報を初稿にぶつけて書き換えていく。ここで営業とマーケティングが同じキャンバスを見ることが、第9章で述べる「共通言語」の起点になる。

これで「何を伝えるか」が設計された。誰に(第5章)、何を(本章)。だが、価値が合っていても、伝えるタイミングが合わなければ検討は進まない。まだ現状に満足している着火役にROI試算を送っても意味がなく、決断の直前にいる金庫番に業界レポートを送っても遅い。次章では、購買心理の変容を8つのフェーズで捉え、「いつ・どう届けるか」を設計する。

本章の要点

  • データが整っても、届ける価値が設計されていなければグループは動かない。Step5は、役割ごとに自社の価値を言語化する工程である
  • バリュープロポジションキャンバスを使う際の要点は1つ。顧客プロフィールをアカウントではなく役割ごとに書くこと
  • 同じ商材でも、着火役には「問題意識の裏づけ」、旗振り役には「社内説得の材料」、門番には「リスクと要件の確認」、金庫番には「投資対効果の証明」と、価値は4通りに分かれる
  • VPCはアカウント単位ではなくペルソナ単位で、役割の数だけ書く。初稿はAIに任せ、営業・ISの一次情報で人が磨く

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アカウントは選んだ。その先を、誰も設計していない。

ABMでターゲットアカウントを選定したものの、その先で止まる——「誰に、何を、いつ届けるか」が設計されていないためです。BtoBの購買は一人では決まらず、高価格帯では平均18.3人が関与します。本書は、アカウントの内側にいる「購買グループ」を定義し、可視化し、役割ごとに届け分けるまでを7ステップで解説した全53ページ・図版13点の実務書です。

  • アカウント選定の先で止まる理由。ターゲットは決めたのに成果が出ない状態を、管理単位ではなく「誰に届けるか」の設計欠落として捉え直す(第1章)
  • 購買グループを定義する3つの単位(企業・部門・案件)と4つの役割(着火役・旗振り役・門番・金庫番)。ABMの延長線上に何を足すのかを構造で示す(第2・4章)
  • 購買グループが見えるデータベースの作り方(Step1〜4)。ターゲットアカウントマトリクス9象限、ホワイトスペースの特定まで(第5章)
  • 役割別バリュープロポジション(Step5)と、購買心理変容8フェーズに沿った施策設計・営業連携(Step6)。いつ・誰に・何を出すかの対応表(第6・7章)
  • AIによる判定・分類とデータアーキテクチャ(Step7)、CoEによる運用体制。可視化率・充足率・フェーズ分布・ホワイトスペース充填の4指標で回し続ける(第8・9章)

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この記事を書いた人

ワンマーケティング編集部
BtoBマーケティングの戦略設計から実行支援までを手がけるチーム。MA運用・リード獲得の現場知を発信しています。
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