第2章 ABMの延長線上にある「購買グループ」 ―― 本書の立場
2-1. ABMとは何か ―― 起点を「個人の獲得」から「企業の選定」へ
まず、言葉を確認する。
ABM(アカウントベースドマーケティング)とは、重要なアカウント(企業)を選定し、企業単位で最適なアプローチを設計するマーケティング手法である。定義は単純だが、その意味は、それ以前のマーケティングと対比して初めて立ち上がる。
日本でBtoBマーケティングが本格化した2012〜13年頃、活動の中心はリードジェネレーションだった。展示会に多数出展し、Webで資料を公開し、不特定多数のリードを広く集めてから絞り込む。起点は「個人の獲得」であり、獲得した個人を育成して営業に渡す、という一方向の流れである。
ABMは、この起点を逆転させた。先にアカウントを選ぶ。選んだ企業を深く攻める。起点は「企業の選定」であり、個人は選んだ企業の中で探す対象になる。広く集めて絞る漏斗(ファネル)に対して、ABMは狙いを定めて深く掘る。
ただし、両者は対立するものではない。リードジェネレーションによって蓄積された接点データがあるからこそ、選んだアカウントの中に誰がいるかを見ることができる。リードジェネレーションがなければABMは動かないし、ABMがなければリードジェネレーションは商談に届かない。前者が土壌で、後者が耕し方である。この補完関係を見失って「ABMに切り替える」と宣言した企業は、母数を失って身動きが取れなくなる。
2-2. ABMが最適な企業の4条件
次に確認すべきは、そもそも自社にABMがフィットするか、である。ABMは万能の手法ではない。自社の商材と顧客と営業環境を把握したうえで、フィットするかどうかを判断してから始めるべきものである。
当社は、次の4条件のいずれかに当てはまるかを判断の起点にしている。
第一に、1社あたりの発注ポテンシャルが大きく、選定に関わる担当者・部門が多いこと。 1件の取引金額が大きく、意思決定に複数の部門が関与する商材であれば、1社に深く入る投資は回収できる。
第二に、同一企業内に発注担当者が多数存在し、拠点・エリアが点在していること。 製造業の顧客に典型的だが、発注の窓口は本社だけではない。事業所、工場、支社、営業所――それぞれに担当者がいて、それぞれで検討が動く。1社を1つの窓口で捉えていては届かない。
第三に、提供ソリューションが多岐にわたり、提案先の部門・用途が広いこと。 1つの部門で完結する商材ならよい。しかし、営業部門にも企画部門にも、総務部にも人事部にも刺さる商材であれば、同じ企業の中に複数の提案先が存在する。
第四に、営業リソースが限られており、アプローチに限界があること。 実は、前の3条件は最終的にこの1点に集約される。関与者が多く、拠点が散り、提案先が広い――その全面に営業が張り付くことは、どんな企業でも不可能である。だから絞る。営業リソースの制約が強い企業ほど、ABMの必然性は高い。
逆に、単価が小さく、意思決定者が1人で完結する商材であれば、リード単位の運用のままでよい。ABMに切り替える理由はない。
この4条件を先に置く理由は、本書の主題に直接関わる。ABMがフィットしない企業が購買グループの設計に進んでも、意味を持たない。購買グループはABMの延長線上にある概念であり、出発点はあくまで「自社の商売の構造にABMが合っているか」である。
2-3. 見る単位の進化 ―― Lead-Centric から Buying Group-Centric へ
欧米のBtoBマーケティングの実務論は、この10年余りで「見る単位」を3段階で移してきた。
最初はLead-Centric、個人リードを獲得し育成する世界である。次にAccount-Based、企業を選んで攻める世界。そして近年語られるのがBuying Group-Centric――企業の中のグループを見る世界である。海外の主要なMAやABMプラットフォームも、個人単位・企業単位の機能に加えて、グループ単位で関与者を束ねて捉える機能へと重心を移しつつある。
ここで注意したいのは、この3段階を「失敗の連鎖」として読まないことである。Lead-CentricがうまくいかなかったからAccount-Basedへ、Account-Basedもうまくいかなかったから Buying Group-Centricへ――そう読むと、次もまた失敗するのではないかという不毛な話になる。
正しい読み方は、解像度の進化である。個人リードだけを見ていては、その個人が属する企業が見えない。企業を選んでも、その中には十数人の関与者がいて、役割も関心も違う。企業という面を選んだ次は、面の中の構造を見る。見る単位が細かくなるたびに、それまで見えていなかったものが見えるようになってきた、というのが実際に起きたことである。
そして、この進化の到達点は、日本の法人営業にとって決して新しいものではない。優れた営業担当者は、昔から相手企業の中の「誰が推進し、誰が判断し、誰が財布を握っているか」を把握し、それぞれに合った当たり方をしてきた。Buying Group-Centricとは、営業が経験と勘で行ってきたこの活動を、マーケティングとデータの側でも把握し、再現できるようにする試みである。
2-4. 「脱ABM」ではない ―― ABMを完成させる
ここで、本書の立場を明確にする。本書は、ABMからの脱却を勧める本ではない。
第1章で見た3つの症状を思い出してほしい。リストで終わる。誰が動いているか見えない。営業に渡しても動かない。いずれも、ABMという発想が間違っていたから起きたのではない。アカウントを選んだあと、その中に入って設計する単位を持っていなかったから起きた。ABMは失敗したのではなく、途中で止まっていた。
購買グループとは、この「止まっていた先」を埋める部品である。
ABMは「どの企業を狙うか」に答える。購買グループは「その企業の中の、どの検討単位の、どの役割の人に、何を、いつ届けるか」に答える。前者だけでは施策が点に戻り、後者だけでは狙う企業が定まらない。両者は一続きの設計であり、購買グループを組み込んで初めてABMは完成する。本書が「ABM Complete」と題する理由は、ここにある。
したがって、本書で述べる購買グループの設計は、ABMを捨てて別のことを始める話ではない。すでに選定したターゲットアカウントを、これまでより一段高い解像度で見直す話である。作ったリストは活きる。蓄積した接点データも活きる。変わるのは、施策・データ・評価の単位を「リード」から「購買グループ」へ置き換えることである。
2-5. Goodbye MQLへの立場 ―― さようならは言わない
単位の話に踏み込む前に、1つ触れておくべき論点がある。近年、欧米のアナリストから「Goodbye MQL」――MQLに別れを告げよ、という言葉が発信されている。旗振り役はForresterである。同社は個人リードではなく購買グループと商談を単位とする「B2B Revenue Waterfall」を提唱し、リードから受注に至る比率が1%に満たない事実を根拠として、MQLからの脱却を促している。長年MQLを指標として追ってきたマーケターにとって、穏やかでない言葉である。
主張の趣旨は理解できる。MQLは個人リードに付与される判定であり、施策も評価も「点」の単位で止まる。個人が一定の行動をとった、だからMQLだ、だから営業に渡す――この運用は、第1章の症状③をそのまま生む。点で止まる限りのMQL運用に対してなら、本書も「さようなら」と言う。
しかし、MQLそのものを捨てる必要はない。本書の立場は明確である。MQLは、グループの中の誰かが動き出したことを知らせるシグナルである。
BtoBの購買は1人では決まらない。だからMQL1人を渡すだけでは商談は進まない。だが逆に、そのMQLは「このアカウントの、この部門で、検討が始まったかもしれない」という、極めて貴重な知らせでもある。営業リソースが限られている中で、このシグナルなしにどこから攻めるというのか。捨てるのではなく、位置づけを変える。個人を刈り取るためのゴールではなく、周辺の関与者を見に行くための入口として使う。
MQLの周辺に、着火役・旗振り役・門番・金庫番といった関与者が正しくグルーピングされていれば、1人が動いたというシグナルをきっかけに、他の関与者へアプローチを広げられる。点は入口、面が本体である。この設計ができていれば、MQLはこれまでよりはるかに有効に機能する。Goodbye MQLではなく、MQLの再定義――これが本書の答えである。
2-6. 本書の地図
本書は、3つの問いに沿って進む。
なぜ(第1〜3章)。 ABMが止まる構造(第1章)、購買グループがABMの延長線上にあること(本章)、そして購買グループで見なければならない根拠を、買い手側の調査データで確認する(第3章)。
何を見るか(第4章)。 購買グループを定義する。1社に1つではないグループを3つの単位(エリア・部門・プロジェクト)で切り分け、18人の関与者を4つの役割(着火役・旗振り役・門番・金庫番)で捉える。
どう実装するか(第5〜8章)。 当社が用いる7ステップに沿って進む。誰に届けるかを見える化する(Step1〜4:第5章)、何を伝えるか(Step5:第6章)、いつ・どう届けるか(Step6:第7章)、そして回し続ける仕組みにする(Step7:第8章)。第9章では、これを回す体制を扱う。
終章では、自社の現在地を測る8つの問いと、最初の90日で行うことを示す。
なお本書は、特定のツールの設定手順書ではない。購買グループの設計は、どのMA/SFAを使っていても成立すべき概念と方法論である。『GTM Engineering Playbook』で収益プロセスの構造を、『AI Ready Playbook』で一意なデータ基盤を、『Campaign Management Playbook』で投資と成果の計測を整えてきた読者にとって、本書はその上に「アカウントの中を見る解像度」を載せる第4部である。
次章では、なぜ点ではなく面で見なければならないのかを、当社の買い手調査の数字で確かめる。
本章の要点
- ABMは「起点を個人の獲得から企業の選定へ」逆転させた手法であり、リードジェネレーションとは補完関係にある
- ABMがフィットするのは、発注ポテンシャルが大きく関与部門が多い/拠点が点在/提案先部門が広い/営業リソースに限りがある企業。フィットしない企業は購買グループに進む意味がない
- 見る単位は個人→企業→グループへ解像度を上げてきた。購買グループはABMの否定ではなく、止まっていた「アカウント選定の先」を埋める部品である
- MQLにさようならは言わない。MQLはグループの検討開始を知らせるシグナルであり、点は入口、面が本体である

